一緒に過ごした時間

親の介護

母の7年間の介護が終わって、落ち着いてから思う事は、母が生きていて、一緒に過ごせた時間は貴重だったということ。

病院で一緒に過ごした時間、最初はできていた会話も、徐々に受け答えが怪しくなって、会話もできなくなっていったけれど。無口になって小さくなっていく母を見るのは辛かった。でも、一緒にいることはできた。手を伸ばせば触れることができた。失って初めて、その貴重さに気付くことが出来る。

そんな時間を失って、初めて気づく。もっと大切に過ごせばよかった。

でも、親に対する不満が湧き出ることもあった。育て方に文句を言いたくもなった。もっと、こうしてもらえれば、私の性格とか違っていたのにとか。その価値観は古すぎるとか。
でも、親に多くを望んではいけない。生んで、育ててくれたこと、たとえその育て方が完璧ではなくても、親なりに精一杯頑張ってくれていたんだということ、今だから分かる。毎日、ご飯を作ってくれた、洗濯もしてくれた。相談にものってくれた、励ましてもらえた。それだけで充分じゃないか。それ以上、ごちゃごちゃ望んでも仕方ない。

認知症が進行していなかった時、突然母に、「キツイこといっぱい言ったね。偉そうなこといっぱい言ったね。悪かったね。」と言われ、返答に困った。
気丈だった母から、キツイこと沢山言われて、辛かった。今更言われても、どうしょうもないじゃないというのが、正直な気持ちだった。
でも、そういう会話ができたことだけでも、良かった。母を少しでも理解することが出来たから。
介護に費やしている時間、長く感じられたり、辛くなる時もあるけれど、過ぎ去れば、貴重な時間に変わる。

海を眺める犬

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